ご紹介

◎ 一ノ蔵男声合唱団とは

 1986年3月たった5人でスタートした一ノ蔵男声合唱団も質(音楽性,ハーモニーなど)、量(団員数,観客の動員数など)ともに大きく成長してきました。合唱を通してよい音楽に接し、素晴らしい仲間と出会い、「一ノ蔵」という銘酒、それを製造している株式会社「一ノ蔵」、それが飲める居酒屋「一ノ蔵」、そして我々の歌を聴いてくださった大勢の方々との出会いがありました。特に、株式会社一ノ蔵の鈴木和郎さん(故人)と共に蔵を育ててこられた仲間の経営者の方々との出会い、多田武彦先生をはじめ沢山の指導者との出会いを通じて多くのことを学びました。これらの出会いは私達一ノ蔵男声合唱団にとって何物にも代えがたい宝物です。

 

団のポリシーとして複数のアマチュア団内指揮者、そして複数のピアニストによる練習、曲作り、また演奏会は団員家族やサポーターの支援によるところも大きく、その活動は一ノ蔵男声合唱団ならではのものと思っています。活動は3 年に2 回のペースでの演奏会を中心に、社会活動としての各種福祉施設や病院の訪問コンサート、年1回の一ノ蔵ツアーなどで、これは単なる酒好き、歌好きの集まりではないことの証明でもあると自負しています。これもひとえに団員全員が心をひとつにして、歌もお酒も社会参加もみんな前向きに楽しんできた結果であると思います。団員が40名いれば40通りの想いがあり、それぞれの目指すもの、求めるものがあり、必ずしもそれは一致しないと思います。それを何処まで一致する方向に近づけられるか?  それは全団員ひとり一人が互いに相手を尊敬し、学びあい、努力することではないでしょうか。そんな風土の合唱団です。

 

◎団名の由来

 1986年3月ハマ音の「木のぼりコンサート」の前身となる「謎のコンサート」が開かれ、これに男声合唱で参加した7名のうち5名で男声合唱団がスタートした。19889 月,大倉山記念館で開催されたコンサート“未知(道)との遭遇”に出演することになったがよちよち歩きの合唱団に名前がなかった。出演に当って「合唱団の名前をつけよう」ということになり,いつもの通り練習後の居酒屋「一ノ蔵」で命名のための会議を開催。いくつかの名前が出され,喧々諤々討議。そんな中で居酒屋の名前を借りて『一ノ蔵』はどうだろうとなり、店長にも了解を得てその場で「一ノ蔵男声合唱団」に決定した。

  

◎一ノ蔵ツアー

 「一ノ蔵男声合唱団」の名前が世間にほんの少し知れ渡るようになり,まわりから宮城県の「一ノ蔵」とはどういう関係ですか”と尋ねられることもしばしば。東北の銘酒,蔵元の名前を無断で使っているのはよろしくないのではないか,ということで蔵元に恐る恐る電話をかけ,事情を説明。蔵元から名前「一ノ蔵」の使用の承諾と合わせ,蔵見学にも是非来てくださいと快諾戴いた。お酒の好きな団員のこと、早速一ノ蔵訪問が企画され、1993年3月に第一回一ノ蔵ツアーが始まり、以来毎年出掛けている。第5回頃まで毎年行われていた演奏会もその後は1年半に1回となり、演奏会の数より、ツアーの数の方が多くなってしまった。

 

◎居酒屋「一ノ蔵

 練習後は、練習場所が何処であっても、みんないそいそと居酒屋一ノ蔵へ。JR 桜木町駅を降り,野毛地下道のエスカレータを上ると目の前にコンビニがあり,二軒先が居酒屋一ノ蔵だ。大提灯と3個の薦被りが目印。暖簾をくぐり,一番奥の大テーブルが定位置。酒は当然一ノ蔵で無鑑査超辛口黒ラベル一本槍。毎年の新年会から一升瓶をカウントして300 本に迫った年もある。こうして隔週土曜(練習日)の夜が更けていく。

  

◎海外演奏旅行

 1997年4月初めての海外演奏旅行。オーストリア・ブライテンブルン訪問。地元の合唱団ブライテンブルナーとの合同演奏会を開催。日本とオーストリア双方のアマチュア合唱団が自分たちの手作りで企画し,努力して実現した合唱を通じての草の根的国際交流となった。勿論、演奏会のあとは打ち上げ交流会。日本から持って行った“日本酒一蔵”で大いに盛り上がった。この演奏旅行は合唱団の団員・家族・知人などなど一ノ蔵男声合唱団を支えて下さっている関係者のいろいろな伝手を頼りに、現地のアマチュア合唱団を探して交信し、合同演奏会を開催するというその後の海外演奏旅行のパターンのモデルとなった。
 この海外演奏旅行は、2000年のイタリア北部の町クルゾーネ、2004年のカナダ・トロント、2005年の上海、2006年ソウルへと続いた。しばらく置いて2014年マニラに行った後は、しばらく中断しているが、今また新しい企画が持ち上がれば実施したいとの思いは持ち続けている。

 

◎社会参加活動

 ひとりの団員を通じて横浜の老人保健施設「たかつ」から入所者向けイベントとして演奏をとの依頼があり、2000年5月に訪問コンサートを実施。演奏の後半でお馴染みの唱歌や歌謡曲をみなさんと一緒に歌うととても喜んで下さった。以来、この年は立て続けに地域の小学校夏祭り、団員地元の老人会などなど続いて参加。その後、社会参加優先か、練習優先かとの議論が出たりして喧々諤々。自分たちの好きな歌を歌って人々に喜んで頂けるなんてこんな嬉しいことはないが、その為にもしっかりと練習もしてと言うことで、今は年3箇所ほど病院・老人施設を訪問し、社会参加活動をしている。

 

◎デューク・エイセスと合同演奏会

 当時一ノ蔵男声合唱団のサブ・マネジャーをして下さっていた女性が大のデューク・エイセスファンで、「デュークと一緒の舞台で歌いたい」との夢を実現するために合同演奏会を提案。ご自分でデューク・エイセスの了解を取り付けて、2007年8月実現の運びとなった。当日の横浜音楽堂はお客様で一杯、大盛況でした。演奏会後の打ち上げにデューク・エイセスのメンバーも参加し、大いに盛り上がった。デューク・エイセスと同じステージに立つことで、彼らのステージの雰囲気づくりを垣間見ることが出来、私たちにはとても良い勉強になった。

 

◎国内演奏旅行

 2008年6月、その年10月に行う第12回演奏会で「柳川風俗詩」を歌うということで、北原白秋の里・九州の柳川市に行くことになった。たまたま、一ノ蔵の団員だった人が実家の福岡に移り住んで地元の合唱団にいたことから、この機会に合同演奏会をということになり、福岡の2つの合唱団との合同演奏会が実現した。これをきっかけに、翌2009年には「あきたロシア音楽祭」に参加、2012年には「仙台男の合唱まつり」に参加した。

 

◎東日本大震災後の復興支援活動

 あの東日本大震災が起こったのは2011年3月初旬第18回一ノ蔵ツアーから帰った直後のことだった。宮城県大崎市にある一ノ蔵本社蔵も被災した。ただ、海岸から離れた地域にあって津波の被害は受けずに済んた。同年11月落ち着いたところで私たち合唱団はお見舞いに一ノ蔵本社蔵を訪問。その折に近くで最も津波の被害の大きかった東松島市の被災地域を訪れ、その光景を見て声も出なかった。仮設住宅にも立ち寄りお話を聞かせて頂いた。
 以来、横浜のハマ音に関連するいくつかの合唱団と一緒になって「歌の絆の会」を立ち上げ、東松島市の仮設住宅自治会や中学校に私たちができる範囲の支援を始めた。多くのことは出来ないが、団員の311募金や演奏会の収益などから息の長い応援が出来ればと考えている。